お母さん、大好きなお母さん、お久し振りです。
私を産んで、育ててくださってありがとうございます。
私は幼い時、私を生んでからリューマチになって、
段々と手足が不自由になっていくお母さんを、
とても可哀想だと思っていました。
お母さんが、自分の健康と引き換えに私を産んでくれたことを、
感謝しつつも、申し訳ないと思ってきました。
私が5歳ぐらいの時、従兄弟がお菓子と交換に、お股を触ったり、
セ☆クスの真似事も経験しています。
そのことで自分を許せず、
ましてお母さんに言えもせず、罪悪感の根っこになっていると感じます。
私はお母さんが42歳の時の子どもですね。
目の前のお母さんが中年から老年を迎え、
リューマチの進行に伴って、日常の生活に不自由になっていく様を、可哀想であり、
トイレに間に合わないお母さんを疎ましく感じ、
そのために飲み物を控えている、お母さんを可哀想に感じました。
入浴介助する時は、家族に遠慮して終い湯に入るお母さんを待っていると、
眠くて面倒くさくて不機嫌な顔をし、嫌味な言葉を投げて、
お母さんが悲しそうな顔をすると、
そんな態度を取る自分自身にも情けなくって、自分を嫌いになる繰り返しでした。
若い頃のお母さんを知る機会も見る機会もなく、
綺麗なお母さん、おしゃれな母さん、生き生きと躍動的なおかあさんではなく、
自分のことさえ儘ならないお母さんに、
女性としてのモデル・生き方としてのモデルを見出すことは出来なかったのです。
私の中には、可哀想な、惨めな、年老いていくお母さんの姿しかなく、
女の生き方としては、受け取りにくいお母さんの姿でした。
私が病院で付き添いをしていた臨終のあの夜、
眠気に負けて、
お母さんが少し苦しそうに『うん〰ン・ウン~ン』とうなった声も聞いていたのに、
起きてあげられませんでした。
そのうなった声が、お母さんの最後だったのを、
もう体温が下がって、冷たく感じる額に手を触れるまで気が付きませんでした。
そのことで、私自身を許すことがとても出来なくて、
無意識的に私を、責める材料になっていたんだと思います。
罪悪感の際たるものが、そのことだったと気が付きました。
私は、そのことがらを纏めて、
自分の中に親孝行でない自分を、許していない自分を感じていました。
だから、私は、お母さんより幸せになってはいけないと感じ、
性に関しても
『こんな私は価値がない。女性として恥ずかしい存在だ』と感じていました。
性は、自然の生命エネルギーであるのに、知らずに性を否定し、
女性である自分をも、無意識レベルで否定していました。
自然な生命エネルギーや、女性の自分を無意識で否定しているので、
私を、心から愛おしいと思ってくれる男性なんて居ないと思っていました。
セ☆クスそのものに罪悪感があったと感じます。
その罪悪感からまた無意識で、
セ☆クスより人間としてもっと大切なことがある、
それは人間性の成熟を図り、
人から認められるような、親切な、優しい良い人になり、
周りの人に喜ばれる人間にならなければいけないと言う、思い込みになりました。
このような感情や感覚は、私がひとりでに感じたものなのですが、
長い間、私の無意識の中に蓄積され、自分を縛る価値観や思い込みになりました。
私は今それらの感情や価値観や、思い込みを全部、宇宙にお返しします。
私はただ無条件で宇宙からも愛され、
そして両親からも愛されていて、
自分自身からも愛されていることを感じて、受け入れていくことだけ。
私は、お母さんとの関係で感じてしまったものを手放し、
背負ってしまったお母さんの影から離れていきます。
私の人生は私自身であること、私そのものを生きていくこと。
私は私を幸せにします。いっぱいいっぱい、自分を満たし幸せになります。
パートナーを持ちます。
パートナーと二人で、満たし合える・幸せも実現していきます。
性愛セラピストして、私の世代や、上の世代、下の世代にも伝えていきます。
人はしあわせになるために産まれて、
幸せを感じるために生きていると、周りも自然に幸せになっていく。
すべて私が作る世界だから。
お母さん、愛するお母さん。
私を10人目で産んでくださって、本当にありがとうございました。。。。。
お母さん、本当にありがとう。
これで心置きなく、お母さんの元を離れることができます。
お母さん、本当にありがとうございました。規子